ラプンツェルと毒親問題

大好きなネジ子さんのTwitterを眺めていたら、ラプンツェルと魔女に関しての呟きがあったので非常に興味深く読ませてもらった。

実際に私もディズニーのラプンツェルの映画を見た時は、フリンがど―とか髪がどーとかの話より「ラプンツェル」と「ゴーテル」の関係性のほうが気になってしまった。

ゴーテルは問答無用の悪者で誘拐犯で毒親であるけれど、赤ちゃんだったラプンツェルをここまで育てたんだよなーとか、夜泣きの時はどうしてたんだろうとか考えてしまった。現にラプンツェルが「絵の具がほしいの」といえば「仕方ないわね……」と何日もかけて買いにいったわけで。

ラプンツェルはラプンツェルで、ゴーテルが塔から落っこちる時に思わず手を伸ばす。

毒親をすっぱり切れない子の葛藤が現れてるなぁと思った。(まぁ、その後は実の親にあったりフリンとラブラブで幸せそうですが)

 

毒親ってそもそも何だ

健全なおかあさんだと子どもを自立させようと育て、子どもの幸せを願って育てるわけなんですが、毒親は「私の幸せのためにあなたは存在しててね」という思いが強い。

そのために自立させないし、自分のそばから離れていくのを意識的にまたは無意識に阻止する。子どもがうんと幸せにならないように、かといって死んでしまうほどの不幸になりすぎないように。

ゴーテルも自分の若さのためにラプンツェルを育てていたわけなので、立派な毒親といえる。

 

私の親も毒気味なんですが、毒親って厄介なものでこちらが愛情と錯覚してしまう行為や言動をちらほら行う。

ラプンツェルでは誕生日のプレゼントを買い与える行為がまさに。(ゴーテルの罪悪感からくる行為なのかもしれなけど……)

あと髪をといてくれたり、ピンチの時に助けに来て「あなたのことを分かってるのは私だけ」っていうセリフとか。まぁ髪をとくのは若返りのためで、ピンチもゴーテルが演出したものだったんですけどね。

で、子どもっていうのはこういう言動に騙されやすくて「やっぱりおかあさんだから」っていう気分にさせられる。

 

でも、毒親っていうのはいつか子どもに気づかれるもの。ラプンツェルはフリン・ライダーと出会って「やっぱりこの状況は違うよな」と思えたわけで。

それでもすっぱりと切れないのは情もあるし、何より親が一人の人間としてすごく寂しいと気づいてしまうからだと思う。

ラプンツェルも最後の最後に思わず手を伸ばしてしまう。

憎いけどおかあさんだったゴーテル。

ここらへんがネジ子さんの言うように、まさに毒親問題の罪深さを現わしている。

 

似た関係性の映画があったなぁと思ったら

「八日目の蝉」が毒母と子の葛藤を描いてたんですね。あれもゴーテルと似たようなもので誘拐犯だし、子ども連れまわすしでとんでもない偽物の母親なんですけど、愛情らしきものはあったっていう。

ゴーテルよりはもっと人間的な愛情なので、こっちのほうが子の心情的にはつらいと思う。

「その子はまだ朝ご飯を食べていません」は名言。

主人公も自分の人生をぶち壊したある時までは母だった人を憎むんですけど、こっちも憎みきれない。

 

おわりに

毒親ってその名の通り「子の毒になる親」のことで、子がそれに気づいたらきっぱり見捨ててしまうのが正解なんですが、実際はそうもいかない。

 

でもラプンツェルが手を伸ばして、老婆となったゴーテルがその手を掴めてたらどうなってたんだろうと妄想。

たぶん渾身の一撃でフリンにとどめをさして、老婆となったまま灰になり、ラプンツェルは身も心もボロボロになってしまう。ハッピーエンドは永遠に来ない。

それを思うと、現実に毒親を持つ人たちにとっては「手を伸ばす」はやっぱり正解じゃなくて「手を伸ばさない」が大正解というところだろう。