ままこそblog

タダの生活雑記です。

「泣く」アクションに隠された気持ちを察することで起こる変化

娘に新しい折り紙を買い与えたことでそれは起こりました。

 

事の発端は娘が折り紙にハマり始めたこと。

 

学校でも家でもせっせせっせとネコやらペンギンやらの作品を作ってきて、嬉しそうに自分の作品箱に入れていました。が、うちには折り紙といえば昔使った余り物の『茶色』『黒』『灰色』しかなかったので、もっとバリエーションがあったほうが良いだろうと新しい折り紙を買ってきたんです。

新しい折り紙って金色と銀色が入っていますよね。

それを見てもう娘は喜びました。

さっそくいそいそと金と銀で新しい作品を作り始めたんですが、いかんせん金紙と銀紙ってほかの紙に比べて折りにくいんです。折り線がつきづらかったり、たたみにくかったりで。

で、くちゃくちゃになって失敗しちゃったんです。

 

娘の癇癪が発動

くちゃくちゃになった折り紙を見た瞬間、娘の癇癪ボタンがポチッと押されてしまったようです。

「もうこんな折り紙捨てる!」と金と銀をゴミ箱に捨てる。他の折り紙をハサミで切ろうとする。

見ている側は「あぁーまたこうなるか」とうんざりした気持ちが胸に充満してきました。

 

娘:癇癪→私:最初は黙って見ている(もしくはなだめるor気をそらす)→娘:治まらず行動がエスカレート→私:いい加減にしなさい!と怒る

これがいつものパターン。

 

そこで思いだした『「言葉にできる」は武器になる。』

最近読んだ本の中で一番面白かった「言葉にできる」は武器になる。

その中で記されていた(言葉は思考の上澄みに過ぎない)という言葉。

言葉が思考の上澄みに過ぎないのなら、目の前で繰り広げられている『泣く』というアクションも思考の上澄みにすぎないのではと考えました。

そこで、娘が感じたであろう気持ちと自分も小さい頃感じていた「金と銀の特別感」をシンクロさせてみました。

私:「金と銀があって嬉しかったんだよね」

娘:泣きながら頷く

私:「張り切って頑張って作るぞーっていう気持ちもあったし」

娘:更に泣いて頷く

私:「でも、上手く出来なくて悲しくなって、悔しくなったんだよね」

そこまで言うと娘は更に顔をくしゃくしゃにしてぎゅっと抱きついてきました。

私も娘の気持ちが手に取るように分かって、胸がぎゅーっと締めつけられる感覚。

 

「癇癪を起こして泣く」というアクションの下には、嬉しかった・頑張りたかった・悲しかった・悔しかったっていう色んな気持ちが漂っていたんです。

 

気持ちを代弁することで訪れた変化

娘の気持ちを代弁したことによって、その場の癇癪は徐々に徐々に治まっていきました。

自分の事を振り返ってみても、イライラしている時ってその事象に対してだけでなく、それを受けた時の自分のモヤモヤする気持ちが不愉快で、更にイライラが増長されている気がします。

外向きの言葉・外向きのアクションの下には無数の思考や感情がある。

これを知っておくことで子どもだけじゃなく自分も少し余裕が生まれるんじゃないかなぁと思います。

 

おわりに

激しい感情をぶつけたほうもぶつけられたほうも疲れるんです。

精神の消耗が半端ないです。

でも「内にある無数の思考の上澄みとしてその反応が出てきている」と推測出来たら、また違った対処法が取れると思います。

相手の内なる思考を引っ張りだす作業。

子育てって改めて自分育てでもあるんだなぁと感じました。