ままこそblog

タダの生活雑記です。

「宿題は誰のためにやるもの?」

昨晩のこと。

台所で家事をしていると娘が私を呼んでいます。

「ママー宿題わかんないから教えて」

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どれどれ、とやっている最中のプリントを覗きこむと算数の問題。

『ひっ算の答えと表に書かれた文字を照らし合わせて暗号を解きましょう』という応用力がやや必要とされるものでした。

確かに「ちょっとややこしいかなぁ」と思ったので、「途中まで考えたことをプリントの隅にメモしていったら?」と言ったんです。

考えたプロセスを可視化したほうが解きやすいと思って。

 

そうしたところ娘は間髪入れずこう言いました。

娘:「えぇー!それじゃプリントが汚くなる」

私:「でも、書いた方が分かりやすいよ。嫌なら後で消せば良いし」

娘:「それでも消した時に汚くなるし嫌なの」

きっと、彼女にとってプリントは答えがぴしっと書かれていてきれいな状態で出すものなんですね。 

 

誰かに見てもらうため?

 

この発言を聞いた時、娘は『先生や』『私に』怒られないために宿題をやっていて、自分のためにやっているという意識は希薄なんだろうな、と感じました。大人にとったら宿題は本人のため、でも子どもにとっては誰かの目を意識した誰かのためなんですね。

中には「自分のためにやってる」お子さんもいるでしょうが、ごく少数なのではと思います。

 

「なんで勉強しなくちゃいけないの?」も同じこと

「赤ちゃんはどこから来るの?」と同じくらい、親が「きたよこれ!」と思う質問が「なんで勉強しなくちゃいけないの?」

大人は自分のためだよ・将来の可能性を広げるためだよ。などなどいくつかの答えを用意しますが、どれを言っても子どもはピンと来ない。

(過去、Eテレウワサ保護者会でホリエモンに同じ質問をしていました。「嫌ならやらなくて良いんじゃない。好きなことを極めれば良い」と答えていましたが、ここまで言える大人はあまりいないかな)

 

「なんで~~しなくちゃいけないの?」系の質問って、結局やらされている感があるからだと思うんです。

大人が学ぶ時って自分でやろう!と考えてやってるわけなんで、「なんでしなくちゃいけないの?」とは到底思わないですよね。

その反対にPTA活動なんかは大多数の人が「なんでしなくちゃいけないの?」になるわけですが。これも『学校&周囲の人間からの無言の圧力』によってやらされている感があるからだと思います。

 

話を宿題に戻すと

娘が宿題に取り掛かる時、グズグズと面倒そうに取り掛かるんですよ。

「あぁ、きっと怒られないためにやってるからだ」と、上記のプリントが汚れる発言とそれまでの娘の様子が繋がりました。

 

この出来事以前に、「勉強・宿題は自分のためにやるものなんだよ」と何度か説明したことがあります。

その度に腑に落ちない様子。

 

自分が子どもの時「どうだっただろう」と思い返してみると、やっぱり「みんながやってくるから」「先生に怒られないように」という意識で宿題をやっていた気がします。自分のためっていう意識はほぼ皆無。

 

それを思い返すと、やっぱり子どもにはどれだけ「自分のためだよ」と説明しても理解するのは実感として難しいんじゃないかなと。

それより『宿題の時間を出来るだけ快適に・一緒に考えて時間や問いを共有する・励ます』習慣をつけると、「プリントが汚くなる!」と嫌がった彼女でも少しずつ勉強する意義が相手軸から自分軸へとシフトしていくのではと思いました。

 

そんな願いも込めつつ、今回はここまで。